ごはん作りに疲れた時に|一汁一菜という考え方に救われた話

毎日のごはんを考えるのって、
思っているよりずっと大変なことだと思います。

何を作るか考えて、買い物をして、
作って、食べて、片づけて。
それが毎日続いていく。

当たり前のようでいて、
実はけっこう頭を使うし、気力も必要なことです。

忙しい日が続いたり、少し余裕がなくなったりすると、
「ちゃんと作らなきゃ」と思うこと自体が、
負担に感じることもあります。

だからと言って、外食や総菜に頼りっぱなしにはできないし、
少し休んだからといって、
本当の安心は手にはいらない。

「これでいいのかな?」
「頑張ってみたけど、ちょっとしんどいな。」
そう思いながらも、

自分のため、家族のために台所に立っている人は
たくさんいるのだと思います。

毎日のごはん作り、なんだか疲れてしまったな。
そう思っている方に、少し立ち止まって読んでいただけると幸いです。

目次

理想の料理と現実

料理本を眺めることが好きでした。
小さい頃はお菓子の作り方、学生時代はごはんものへと移っていきました。

魅力的な器に盛りつけられた美しい料理の写真。

その作り方の説明を読めば、
「その気になれば、いつだって、誰だってできますよ。」
と言われているようでホッとしました。

「いつか自分もこんな料理を作って、食べて、誰かに振舞うんだ。」
そう思いながらページをめくると、気持ちが満たされました。

けれど、実際はそう上手くはいきません。

自分の弁当作りからはじめ、夕食の準備をするようになると、
想像よりも大変で、思うようにいかない日々。
本屋で並べられている『基本の料理』のハードルの高さに気がつきました。

栄養的にも文化的にも『正解』と言われる食事に多く触れてきたせいか、
理想と現実のギャップに不安を感じていました。

そんな中で出会ったのが、料理家の土井善晴さんの
『一汁一菜でよいという提案』という本でした。

『一汁一菜でよいという提案』との出会い

一汁一菜でよいという提案』では、
一汁一菜を基本にして、日々の食事をもっとシンプルにしていい、
という考えが書かれています。

ここでいう一汁一菜とは、
ご飯と味噌汁と漬物
または
ご飯と具沢山の味噌汁
です。

当時はこちらを読んで衝撃を受けるともに、
とても安心したことを覚えています。

完璧なごはんは作らなくていいこと、
無理をしなくても続けていける形があることを、
やさしく諭してもらったような気持ちになりました。

それでも私は強情だったんだと思います。

一汁一菜の提案を心に留めながらも
料理のセーフティーネットとして本棚に戻しました。

今はできなくともいつかは、
一汁三菜とは言わずとも定食のような料理を準備できるようになるはず
と思いながら、本屋に加えてSNSを徘徊していました。

情報が増えるほど、分からなくなっていった

料理テク・時短術を見漁った日々

インスタやYouTube、ショート動画は便利です。

プロはもちろん、一般の人の生活の知恵や工夫を無料で制限なく見ることができます。
仕事をしながら家事も上手にしている人、仕事・家事・育児を全てこなしている人。

あたりまえのクオリティーの高いすごい人たち。
だけど、私にも実現可能かもしれない人たち。

私が見た、料理テクニックをまとめるとこんな感じでしょうか。

  • 冷蔵作り置き常備菜
  • 冷凍作り置き常備菜
  • 冷凍コンテナ弁当
  • 炊飯器同時調理
  • オーブン同時調理
  • レンジだけで完結レシピ
  • せいろ時短レシピ
  • 圧力鍋時短レシピ
  • ワンパンレシピ

様々な人が生活する中で試行錯誤を重ねて見つけた自分のスタイル。
どれも理にかなっていて、生活を楽にしてくれる知恵。

だけど、なかなか自分のものにすることができませんでした。

借りてきたスタイルは、やはり借り物

冷蔵常備菜は意外と期限管理に頭を使うので、冷凍に移行したものの、
まとめて調理するのは、やはり相応の労力がいります。

同時調理や時短レシピは、調理の時間を確かに短縮できました。
でも、応用するためには、自分で考えるか、再度検索する必要がありました。
そこに時間的なコストがかかることに気が付きました。

ワンパンレシピは今でもよくやります。
型破りに見えて軸のある料理。特にパスタがずっと楽になりました。
今日は洗い物の少ない、一問一答のレシピがほしいと思った時に検索しました。

とにかく必死にレシピの海の中で泳いでいたのがこの時期です。
今でも泳いでいることに違いはないのですが、泳ぎ方の型がなかった。
今思うと、ゴールもなかった。
だから、見様見真似でお手本たちをなぞってみましたが、自分の型を身に着けることはできませんでした。

海が悪いんじゃないんです。
泳ぎ方を知らなかったんです。

もしかすると同じように、
いろいろ試しているのに、どこかしっくり来ないと感じている方もいるかもしれません。

もう一度、あの本を手に取る

海は広く、深かった

いっこうに自分のスタイルに辿り着けないまま、結婚、出産をしました。
夫の食事の用意に加え、離乳食や幼児食が始まりました。

その間もいろいろな料理方法やレシピに触れました。
今思うと、そこから学んだことも多くあったと思います。
けれど、変わらず根本的な解決には至っていませんでした。

そのまま会社に復帰して、そこでとうとう溺れかけました。

「みんながやれていることが、私にはできない。」
積み重なった試行錯誤、見様見真似が、むしろ自分の無能さを代弁しているように思えました。

レシピの海で泳いでいたはずが、気が付くといろいろな時短や効率の波に乗せられ、よりずっと広く深い場所にいました。

しんどいな。
そう思いながら、子どもを寝かしつけ、
本棚を見るともなく見ました。

全然癒しではなくなってしまったレシピ本の中に、
ひっそりあった、優しい緑の、手書きタイトルの本が目に留まりました。

『一汁一菜でよいという提案』を読み返して

もう一度、最初から最後まで読みました。

最初に手に取った時とは比べ物にならないくらい心に沁みました。
とんでもなく自分の姿勢を間違えていたことに気づきました。

いつの間にか、いかに効率よく、賢く美味しいものを作るかという手段に囚われ、
料理の品数や彩が、愛情のものさしのようになっていました。

そこから一気に抜け出して、料理の本質や料理をする喜びを再認識できたのです。

一汁一菜を基本にして、余裕がある時はもう一品作ればいい。
品数を増やすのではなく、一汁の中で栄養が摂れるように考えよう。
そう思えるようになっただけで、とても自由になりました。

ようやく、この本に導かれながら泳ぎ方を習得した。
とは言えませんが、平泳ぎ風くらいにはなって、
レシピの海にも前より余裕をもって入っていけるようになりました。

一汁一菜でよいという提案』はセーフティーネットではなく、
自分のスタイルの根幹となるものでした。

おわりに

今回触れた『一汁一菜でよいという提案』は、
ごはん作りに少し疲れてしまったときに、
「これでいいんだ」と思わせてくれた一冊でした。

一汁一菜を基本にして、
日々の食事をもっとシンプルにしていい、という考え方が書かれています。

完璧に整った食事でなくてもいいこと。
無理をしなくても、続けていける形があること。

それに気づけただけで、
毎日のごはんに向き合う気持ちが、少し軽くなりました。

私自身、今でも余裕がない日は一汁一菜に頼っていますし、
少し余裕がある日には、もう一品足してみたりもしています。

そのくらいのゆらぎでいいのだと、
思えるようになりました。

もし同じように、
毎日のごはんに少し疲れてしまっている方がいたら、
一度手に取ってみてください。
日々を楽に、でも、豊かにしてくれる言葉を見つけられると思います。

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