チャーリーとチョコレート工場を観て、大人になって気づいたこと

立ち止まる時間

はじめに|バレンタインの季節に、あの映画を観返して

バレンタインも近づくこの頃、
金曜ロードショーで『チャーリーとチョコレート工場』が放送されていました。

貧しい少年チャーリーが、奇妙で魅力的なチョコレート工場へ招待される物語。

子どもの頃は夢中になって観ていたこの映画を、
大人になって改めて観ると、
そこにはまた違う景色が広がっていました。

ウィリー・ウォンカとその父親。
自由と規律。
そして、甘いチョコレートと歯のこと。

今回はそんな視点から、少しだけ考えてみたいと思います。

※この記事は映画を観ている前提で書いています。
ネタバレを含みますので、ご注意ください。

映画と原作の違いが生む「父」の存在

映画『チャーリーとチョコレート工場』と、
原作である『チョコレート工場の秘密』には、いくつか大きな違いがあります。

そのひとつが、ウィリー・ウォンカの父親の存在です。
この父親は、映画版のオリジナルキャラクターとして描かれています。

父親が登場したことで、
ウィリーの人物像や背景がより立体的になり、
チャーリーやその家族とのコントラストも、いっそう際立つように感じました。

他の子どもたちが受けるペナルティについても、
ウィリー自身の親子関係が、彼なりの価値観として反映されているように思います。

この点について語り出すと長くなってしまうので、
今回はウィリーと父親に絞って考えてみます。

似ている2人が語る「家族と自由」

ウィリーとチャーリーの対比

ウィリーとチャーリーは、一見すると正反対の人物に見えます。
けれど、よく見るといくつかの共通点があります。

  • 一人っ子であること
  • チョコレートが好きなこと
  • 父親がオーラルケアに関わる仕事をしていること
  • 名誉やお金への関心が低いこと

ただし、その価値の置きどころは大きく異なります。

ウィリーは、
「家族をはじめとした人との繋がり」よりも「創造的で自由なお菓子作り」を優先します。

一方のチャーリーは、
「個人の成功」よりも「家族との時間」を大切にします。

共通点があるからこそ、
家族に対する向き合い方の違いが、よりはっきりと浮かび上がります。

そして、その対比の中心にいるのが、
それぞれの父親なのだと感じました。

ウィリーが『両親』と言えなかった理由

映画の中で、ウィリーは『両親』という言葉をうまく発することができません。口ごもり、話題を逸らそうとする場面が何度も描かれます。

子どもの頃は、
厳格な父親そのものを恐れているのだと思っていました。

けれど今回改めて観てみると、
ウィリーが本当に恐れていたのは、父親ではなく「自由を失うこと」だったのではないかと感じました。

ウィリーにとって、
自由な発想と創作活動は、生きる源のようなものです。

父親は、
歯の健康を理由に、甘いものを制限し、
規則正しさや矯正を重んじる存在として描かれます。

父に近づくことは、
愛に触れることでもあり、
同時に、自分が築いてきた創作の世界を揺るがしかねない行為だったのかもしれません。

父に会いに行く決断

物語の終盤、ウィリーは父親に会いに行く決断をします。

もちろん、
チャーリーの「家族の大切さ」を説く言葉が、
彼の心を動かしたのは事実でしょう。

けれど、それだけではなく、
仕事人としてのウィリーの姿勢も、大きく関係しているように思いました。

チャーリーの言葉によって価値観が揺らぎ、
創作がうまくいかなくなったウィリー。

現状を立て直すために、
自分の原点と向き合う必要があったのでしょう。

既にスランプに陥っているため、
父親に近づくことが創作活動を妨害するような要因ではなくなったこと。

また、時間の隔たりも関係なく
家族の愛を信じられるチャーリーが一緒に行ってくれることも、
ウィリーにとっては大きな支えだったように感じます。

ウィリーは本当に父に愛されているか不安だったのか

父親の歯科治療室の壁には、
ウィリーの功績がたくさん飾られていました。

それを見たチャーリーや観客は、
父の深い愛情に胸を打たれます。

けれど、当のウィリー本人は、
その事実にあまり触れようとしません。

もしかするとウィリーは、
父に愛されていることを、心の奥ではずっと分かっていたのかもしれません。

それでも両親から距離を取り、

孤独で自由なお菓子作りの世界を選び続けてきたことへの

罪悪感が、『両親』という言葉を口にできない理由のひとつだったのではないか。

そんなふうにも感じました。

なぜ特徴的な小臼歯を親子の再会の鍵にしたのか

なぜ特徴的な小臼歯を、親子の再会の鍵にしたのか。

長い間息子の歯を見ていなかったはずなのに、小臼歯の形だけで我が子だと分かるウィリーの父。
そこには、息子の細部まで記憶していた父の愛情が感じられます。

けれど私は、ただの“愛情表現”以上の意味があるように思いました。

実は私も、ウィリーと同じくらいの年齢の頃に歯の矯正をしていました。
けれど今、私の口の中に小臼歯はありません。

大人になって矯正をやり直す過程で、抜歯が必要になったからです。

小臼歯は、大人の矯正では抜く選択をされることがあります。
私は子どもの頃に始めた矯正を途中でやめてしまいました。

もしウィリーの歯に小臼歯が残り、美しく整っているのだとしたら、
それは幼少期の矯正を最後まで続けた証なのかもしれません。

父の意図を受け入れたのか。
逃れられなかったのか。
それとも、無意識のうちに応え続けていたのか。

理由はわかりません。

けれど、小臼歯を“再会の鍵”に選んだことには、
親から子へと残り続ける影響の象徴のようなものを感じてしまうのです。

「フロスしていなかった」は本当なのか

父親がウィリーに気づく、あの有名な場面。

All these years… and you haven’t flossed.
(これだけ長い間、フロスしていないとは)

ウィリーは、

Not once.
(一度も)

と応え、ぎこちないハグを交わします。

子どもの頃は、感動の再会として何も疑問に思いませんでした。
けれど今回、ふとこう思いました。

「いや、フロスしてないわけないじゃん。」

チョコレートが大好きで、
日々試作を重ねてきたであろうウィリー。

虫歯のリスクは相当高いはずです。
それなのに、彼の歯は表も裏も、驚くほどきれいです。

おそらく彼は、家を出たあとも、
父から教えられた歯のケアを続けてきたのでしょう。

だからこそ、
父の「フロスしていなかったのか?」という言葉は、
注意ではなく、過去の習慣的な愛ある小言だったのではないかと思いました。

冗談だったのか、
それとも、久しぶりに息子と交わしたかった
昔ながらのコミュニケーションだったのか。

ウィリーがそれに応えたことで、
ふたりはようやく、同じ目線に立てたのかもしれません。

チョコレートと歯の健康は、敵同士じゃない

ウィリーと彼の父が敵同士ではなかったように

チョコレートを楽しむことと、
歯の健康を守ることも、きっと両立することができるのだと思います。

否定するのではなく、
双方を受け入れながら、模索する。

継続的な幸せのために、何を整えるか。
そういった試行錯誤が日々をより豊かにするのかもしれません。

甘いものをやめるより、
どう付き合うかを考えるようになりました。
大人になってからの歯の健康について考えたこと
(歯の健康・大人編)

おわりに|チョコレートミントのような物語

『チャーリーとチョコレート工場』は、
奇妙さと笑い、少しの怖さと温かさが詰まった映画です。

けれど、物語の終盤に流れるメッセージは、とても静かです。

どんなに成功しても、ひとりでは満たされない。
本当の成功はまわりの人とより良い関係を築くことにある。
そして、そのためには精神的な成長が不可欠である。

多くの人にとって、身近なテーマであるからこそ
子どもも大人も関係なく心に残り、
何度でも見返したくなるのかもしれません。

遊び心たっぷりでクセがあるのに、
最後は不思議と爽やかに終わるこの物語。

『チャーリーとチョコレート工場』は、
チョコレートとミントを掛け合わせたような映画だな、と感じました。

甘さのあとに、少しの清涼感。

バレンタインの季節、
チョコレートを味わったあとは、
歯磨きと、フロスを忘れずに。

チョコレートの記憶をたどっていると、
もうひとつ、忘れられない味を思い出しました。
▶母のココアと祖母のココア(準備中)

今年は、少しだけ大人の甘さで。
静かなバレンタインを過ごす予定です。
アールグレイとチョコレートで作る、静かなバレンタインのおやつ

コメント

タイトルとURLをコピーしました